自己否定感を強めるモラハラ環境
「お前のためだ」という怒り方をする人がいます。
これを日常的に言われ続けると、だんだん混乱してくるんですよね。
こういった攻め方をする人っていうのは、”俺は100%正しい”という態度で責めてくるので、最初は、「こんな些細なことで…」「こんなに怒られるようなことではない」と思えていたとしても、
だんだん…「もしかして、本当に私が悪いんじゃないか」そう思えてきてしまうものです。
日常的にこのような怒られ方をし続ける環境にいると、自己否定感が強くなっていきます。
自分に自信がなくなってくるし、自分の行動や考えがすべて間違えているんじゃないかという否定的な感情でいっぱいになるんです。
そうすると、なおのこと、相手の言っている「お前のために怒ってるんだ」という言葉を信じてしまうんです。
潜在意識レベルの問題としては、
- 自己肯定感
- 愛着
この2つは、みていきたいですね。
怒鳴られるような環境に居続けてしまったことで、自己肯定感が下がってしまったということも言えますが、
こういう人とマッチしてしまうというのは、最初の段階から自己肯定感の低さがある程度あったと言えます。
最初の理不尽を受け入れてしまったことで、のちのちの理不尽へ耐えることへと繋がっていきます。
健全な自己肯定感が備わっている状態の人というのは、一番最初の段階の理不尽をされたところで、相手のもとを去ったり、距離を置いたりすることができるのです。
そして、「お前のために怒ってるんだ」という、ある意味歪んだ愛を受け入れてしまうというのは、愛着の問題もかかわっています。
例えば、幼少期に親からもらった愛の形はどんな愛だったでしょうか?
親が怒ったり、怒鳴ったり、支配的であったりした人は、顕在意識レベルでは、そういう親は嫌だったと否定しているかも知れませんが、
潜在意識レベルでは、”怒ったり、怒鳴ったり、支配的”であることが、愛の形であるとなっている可能性もあるのです。
子供にとって、愛をもらえない=死 を意味しますから、愛してもらえないことに比べたら、”怒ったり、怒鳴ったり、支配的”であっても、歪んだ愛を受け取ってしまいます。
結果、
怒ったり、怒鳴ったり、支配する加害者側になることもあれば、
怒ったり、怒鳴ったり、支配的される被害者側になることもあります。
「お前のためだ」とすることで、加害者は自己のルールの押し付けを正当化してきます。
被害者は、そのルールに従っていないことで、加害者に責められることを繰り返しているうちに、自分でも自分を責めるという、二重に責められている状態にはまっていきます。
ここから、抜け出していくために、ご自身で取り組めることとしては、
相手の主張している内容が本当にそうなのか?
本当に私のためなのか?
今一度、相手と距離を置いて考えてください。
その内容は、本当にそれほど責められなければならないようなことなのでしょうか?
渦中にいると、だんだん判断力も失われていきます。
頭でわかっていても、「やっぱり私が悪いのかもと思ってしまう自分もいる」こういう方も少なくないと思います。
そんな状態の方には、1つだけ有効な判断基準をお伝えします。
「お前のためだ」と怒鳴ってきている時点で、それはあなたのためではありません。
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